ひまつぶし

気になることを統一感なく

ライター小野法師丸の半そで企画はおれの中で伝説。

ふと、あいつ何してるかなぁなんて昔の友だちを思い出すことがある。そんな調子で頭に浮かんだのがこの人「小野法師丸」さん。

 

いや、この人ライターさんだし、面識もないから、友だちでもなんでもないんだけど、おれの笑いのツボにスマッシュヒットする文章を書く御仁なんです。昔、法師丸さんのサイトを毎日の巡回コースにしていて、とにかく法師丸さんの文章に触れてました。

 

秀逸な短文

不定期更新と言いながら、ほぼ毎日のように短いコラム的なものを更新していて、それが好きで巡回していて、今はツイッターでそれをしている。いま考えたら調度ツイッターサイズw見返してみてクスッときたやつを何個か抜粋。

親戚の小4の子供から「小野さんはイケメンって感じじゃないね」と言われた。あくまで自然体で、否定的な意味を込めて言ったのではないとはっきりわかるその言い方に、「この子は外見と人間の本質とが別物だとわかっている賢い子だ」と考える、僕の前向き思考。

 

 ちょっと内緒の話をしようと思い、同僚のTさんに「Tさんって、口は堅いですよね」とまず確認したら、「クエッー!」と鳥のまねで返事を返された。くちばしだから口が堅いって言いたいんだと思うけど、逆にこの人を信じていいのかわからなくなった。

 

 パスワードを忘れたときの「秘密の質問」、母親の旧姓や祖父の職業ではなく「小6のときに好きだった子は?」「ある日急に異性として意識し始めた相手は?」という感じにしてほしい。パスワードを忘れたあせりを、甘酸っぱい気持ちがかき消してくれると思う。

 

孤独で無謀な挑戦

この法師丸さんがやっていた「半そで」という企画がある。2001年の9月7日に始まったこの企画。とにかく半そでしか着ないで過ごす。という企画。そしてそれは誰にも言ってはいけないというルール。

 

おれはこれの更新が楽しみで楽しみで楽しみすぎて、更新されていない企画のページを何度も見て、さかのぼって、暗記するんじゃないの?というくらい見ていた。

 

一部抜粋

 

 半そで1日目が終わった。

朝、目覚めると空気の冷たさが涼しく感じる日ではあったが、通勤電車の中でも職場でも周囲の人たちはまだおおむね半そで。もうただの半そでではない私も、今はまだ普通の人の半そでに埋没することができる。

そう思っていると、タンクトップの女性が出現。意外なライバルの出現だ。

自分より露出した肌に一瞬心揺らぐが、慌てる必要はない。今からそんなハイペースでは晩秋にかけて息切れするのは目に見えている。私は私で淡々と半そでを着るだけだ。

 

 

半そでも10日が過ぎたが今のところ極めて順調。快適だ。

半そででいることの数少ないメリットととして、注射がしやすいということは挙げておいてもいいかと思う。袖をまくることなくスマートに針を刺せる。

しかし、自分の健康状態を振り返ってみるとどうだろう。健康だけは取り柄で、子供の頃からのことを思い出してみても病気で注射を打った記憶というものはない。先に挙げた半そでのメリットも、私にとっては無用のものだ。

もちろん、これから病気になる可能性がないわけではない。そういうとき初めて「半そででよかった」と思えるときが来るのかもしれない。

だが、その病気にかかったのが半そでの無理がたたったものだとしたら。

本末転倒というか、理にかなっているというか。どちらともつかないない不毛な話だが、自分を勇気づけるためにも、後者の解釈を採用してみたい。

 

 

あー、風邪をひいてしまった。いつかは来ると思っていたことだが、予想より早い。

休日ということもあり、家でじっとしてチョッキを着てみた。去年まではチョッキに対してどちらかというと冷ややかなスタンスでいた私だが、今年はよきパートナーとしてやっていきたい。サイズはぴったりというより、つんつるてんといった感じ。

しかしチョッキでもまだ寒い。毛布がほしいのだが、どこにしまってあるのかわからない。家人に聞いてみよう。

「ねえ、毛布どこー?」
「あー、すぐは出せないねえ。半天ならすぐ出せるよ」

いや、半天はまずいのだ。微妙なところだが、あれは半そでとは言えないだろう。それではルール違反になってしまう。「半」という漢字が含まれているのが半そでと共通だが、むしろそこには罠がしかけられている。

そういうわけで押入れの奥から毛布をひっぱり出し、くるまって書いている。窓もドアも締め切って部屋に引きこもることであたたかさを維持している。

いつしかこんな閉鎖的な企画になってきている。

 

 

街を歩いてみても半そでの人はずいぶん減った。それが必ずしも肌寒い日というわけではなく、今日のような秋の日射しまぶしい日であるからこそ、本当に半そでシーズンがもう終わってしまうことを感じさせる。

「一度自分で決めたことは最後まで貫き通す!」

柄にもなくそんなこと思ってみるが、勉強やスポーツではなくそれが半そでであるならば、これまでの自分にはなかった成果が残せそうな気がしてくる。

勉強の秋、スポーツの秋、半そでの秋。

ひとつだけあからさまにしっくりこない半そでが郷愁を誘う。

さっきは勢いで「最後まで貫き通す!」などと書いてしまったが、最後とはなんなのかは当然私にも見えていない。

 

こんな調子で淡々と企画が遂行される毎日。外見からは「半そで」というだけ。9月に始まった企画は寒くなるにつれて、おもしろくなるw

 

秋になっても冬に突入しても半そでw

 出張で取引先の人に言われる。「まだ半そでですかー、元気ですねえ」。

元気ですねえ、か。

やはり現段階ではそういうイメージなのか。まだぎりぎりプラス評価とも受け取れるイメージなのか。私が到達したいのはこんなところではない。半そでを指摘するのが気まずいくらいにどうかしてるというところにまで行ってみたい。

そんなもやもやを抱えながら答える。「いやー、雨が降るとは思ってませんでしたよ」。

純粋になんだかかみあっていないような受け答えである上に、実のところ雨が降る予報はちゃんと知っていた。鞄に折りたたみ傘を入れるとともに、今日はつらいことになるぞと心の準備もしてあった。

妙な言い訳のために嘘までつき始めている。ハイヤーセルフを目指すためには、多少の手荒も必要だ。

 

 

新聞の一面には初雪の札幌。どうも例年より早く冬は忍び寄ってきているようだ。それは遠い北の街、札幌に限ったことではない。

「半そでで寒くない?」

今日は職場で同じことを3回も言われた。相変わらず「いやー」とか「まー」などとごまかしているのだが、3回のうち2回は朝晩と時間を置いて同じ人から聞かれたので、きっとほんとに寒そうだなあと思われていたのだろう。

「あれ、半そでのフリース着てんの? あー、そでまくってるだけか」

いや違う。私が着てるのは半そでのフリースです。

腕まくりしているのと勘違いされるのも無理はない。半そでのフリースなんか売ってるのは見たことがないからだ。そんな見かけないようなものを私が着ているのは、長そでのフリースを買ってきて自分で切っているからだ。

オリジナル半そで発動。まくるべきそでなんかありはしない。

そういう加工をしたのはもう5着になります。ミシンは使えませんが、すそあげテープで止めています。自分の中では家着・ふだん着・おしゃれ着とカテゴライズもしています。

 

どんどんつらい状況に追い込まれる法師丸さんwこの文章を書くためだけに企画された「半そで」が実生活を厳しいものへと追いやっていくwしかし読者であるおれは、いつまでもこの企画を楽しみたいので画面のこちら側で長袖を着て応援するのです。半そでなんて北海道では夏にしか楽しめませんw

 

そんな企画も最後の日はやってくるもの。それでもよくここまでやったよと賞賛しました。最後にするために訪れたのは冬の北海道。しかも最北稚内www住んでいる人ならわかるはず。半そでで冬の北海道は自殺行為wwwしかし、そうでもしないと読者が納得しないだろうと判断したのでしょう。そこまでして「半そで」辞めたかったのよね。もういいよ。寒いんだから長い袖を堪能して!って拍手した覚えがあります。納得のフィニッシュ。

 

たぶん師匠みたいなもの

たぶんおれの文章の基本スタンスは法師丸さんで形成されいます。なるべく勢いを出さず、読んでくれる人を文章でクスッとさせるスタイル。もちろん遠く及ばないけど。でもなんか思い出して、また読み直してよかった。この人の文章は色あせない。こんな文章書きたいですほんと。

 

これが巡回していた法師丸さんのサイト

テーマパーク4096

 

特別企画「半そで」はこちら

半そで

 

ツイッターもおもしろいよ。

最近これは面白い!と思ってブックマークした記事があったんだけど、それもよくみたら、法師丸さんの記事でした。デイリーポータルZで記事を書いています。

 

コラム息切れ

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