ひまつぶし

気になることを統一感なく

否定を糧に生きている人なんだな。FBプロフ「フランス国旗化」に対する強い違和感(古谷経衡)

okuです。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

この記事みて、FBのフランス国旗化は、そういうことなのかぁって理解しました。FBが推奨していることなのね。書いた人ありがとうございます。

 

でもこんなに言う事なくね?

 笑顔の顔写真の上に仏国旗を重ねるZuckerberg氏から、「誠実さ」を感じないのは私だけだろうか。文化の違いである、とは私は思わない。世界中で今回のテロの犠牲者を追悼する集会が開催されているが、その中でニヤニヤ笑いながら蝋燭を灯している人間は居ない。ホロコースト記念館や原爆資料館の前で、笑顔で記念写真を撮ることが不謹慎なように、私は「追悼」と真反対にあるのが「笑顔」だと思っている。

 

あーそうですか。

 

 よく、ラブアンドピース、とかいってカメラの前でピースサインを取り、ニヤニヤ笑いながら平和を訴える人間がいるが、私はそういうたぐいの人間を一切信用しない。真に戦争を憎み、平和を希求するのならば、そこには「戦争という巨大な暴力や、身勝手な戦争指導者に対する怒り」があるはずで、そこに笑顔などはない。理不尽な悲劇への怒りの感情こそ、平和の出発点だと私は思っている。

「平和」を笑顔の情景で表現しようとする人が居るが、勘違いではないか。平和は怒りからしか生まれないと私は思う。二度と再びこの悲劇を繰り返してはならないという強い意志と怒りが、平和への橋頭堡になるのであって、躁的な笑顔からは何も生まれない。「追悼」「祈り」と銘打っておきながら、満面の笑顔に仏国旗を重ねるZuckerberg氏の姿勢に、私は有り体に言えば「軽さ」を感じた。この人は本当に、犠牲者を悼む気持ちがあるのだろうかと感じた。このFBの「キャンペーン」を実装する日本人のユーザーに対しても、同等程度の違和感を感じる。

 

あーそうですか。

 

おれこういう記事嫌い。違和感だよ違和感。この記事が違和感。わざわざ違和感があるとかを金もらって記事にしてんじゃねーよって思う。「と私は思っている」とか個人の感想です的な一文入れるあたりも気に食わない。おれもやるけど。

 

てかね、FBってそういうとこでしょ。何を勘違いしてるのこの人は。

 

「私、こういうことに敏感に反応してます。いいね沢山くださいね」っていうとこでしょFBは。知らないの?この筆者は。

 

たいした批判もないから、ザッカーバーグの顔が笑顔なのが気に食わないって言ってるだけですよ。

 このような意見を述べると、「自分も追悼と平和への祈りというキャンペーンに共感したために、FBのプロフ写真に仏国旗を重ねた。有効期限はないが、”49日”を目安にしたい」という方が居た。とても土着的だが、真摯で誠実な人だと思う。私は、”「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」キャンペーン”に参加するなとも、このキャンペーンに参加している人がダメだと言っているわけでもない。少なくとも、笑顔の顔写真は「追悼」とは真反対にある、と憤慨しているのだ。

 

「49日を目安にしたい」というのが誠実な人なのね。もしこういう思いでフランス国旗化してる人の中に笑顔の人がいたら、それは誠実ではないのかな?同じ思いなんだけど。

 

筆者よ。すげー大変なテロだから、全世界の人がすべて知ってるニュースだと思うなよ。毎日くたくたになるまで働いて、帰ったら寝るだけって人もいるわけ。そんな理由だけじゃないけど、世間は騒いでるかもしれないが、それどころじゃない人が大勢いるの。ニュースとは無縁の人。ニュース知ってるだけでも良しとしれよ。関心があるってだけでも御の字だろ。

 

それを表明して何が悪い?FBだぞ?

「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」キャンペーン”は、自身のプロフの上に仏国旗を重ねる「期間」を、「1時間」「1日間」「1週間」「有効期限なし」の四段階で選択できるようにしており、私が試した限りでは「有効期限なし」の選択がデフォルトで設定されていた。1時間や、1日限定の「鎮魂」というのも正直、思慮に足りないと思うが、「有効期限無し」を選択した場合、その人は、自分の寿命が続く限り、永遠に自分のプロフ写真の上にフランス国旗を重ね続けるのだろうか。そうはしないだろう。いづれの段階で、将来「元のプロフに戻す」というボタンをクリックするだろう。

そうすればその人物にとって「安全と平和への祈り」は外見上終了するが、今回のテロの犠牲者の家族や恋人や友人にとって、このテロの悲劇と苦痛は、これから一生継続される消すことの出来ぬ傷になるのである。「自分の意志で簡単に」仏国旗を消したりつけたりすることができる第三者と、一生涯、心の傷としてこれからの人生を生きていく遺族らの事を想像すると、私は実に「残酷な選択肢」だな、と思う。

 

ようするに筆者はFBを勘違いしているだけ。FBってそういうとこだから。FBと今回の遺族を無理やり結びつけるな。そして最大の違和感は「笑顔」だよ。笑顔の何が悪い。元々のプロフ画像が笑っていただけだろ。わざわざ悲しい顔のプロフに変えてからフランス国旗化しなくてはいけないのか?そうじゃないでしょ。元々あるプロフに重ねられるように、うっすら半透明なんでしょうが。

 

笑顔関係ないでしょ。このフランス国旗化することで、この事件に関心を寄せていますよと、アピールするためのものでしょ。何度も言うけど

 

FBってそういうとこです

 

 

そし文章の〆がだらしない。

 未曾有の、国際的なテロとその犠牲者や遺族に対し、わたしたち個人ができることは、極めて限られている。できることは、「祈り」であることには違いない。だが、自分が祈っていることを他者にわざわざ表明する必要はないし、それで今回のテロの犯人に物理的ダメージを与えられることも、当然ない。FBの機能は、ボタンひとつの簡便なものだ。であるがゆえに「重要な何か」が欠落していると、今回のキャンペーンなどを観るたびに感じることがある。それは多分、他者への想像力だ。

 

おれはこう翻訳した。

 

未曾有の、国際的なテロとその犠牲者や遺族に対して、わたしたち個人ができることは、極めて限られている。できることは「祈り」であることには違いない。それ以外は思いつかない。対案はない。あ、で、で、でも、自分が祈ってることを他者にわざわざ表明する必要ある?なくね?ないよね?だ、だってほら、祈りを表明したからって実行犯にダメージ与えられないじゃん。あ、あれ?どうやってまとめよう。ゴホンッえ、え~と、であるからして、なんというか一言で言えば、他者への想像力が足りないのである。(キマッた)

 

キマってねーと思うぞ。

 

おしまい。