「半日ちょっとでAmazonから荷物が届く社会は狂っている」に共感
okuです。
こういうお届け速度にニーズがあり、ひとつの“サービス”になっちゃっていること自体が、なんだか正気の沙汰じゃないなぁと振り返って思うこともあるんですよ。
これが、「輸血パックを届けたい」だとか「鮮魚を届けるには速度が命」っていうなら、それはわかるんです。鮮度勝負な物品は、然るべき対価を支払ってでも届けるべきでしょう。そうじゃなくて、あらゆる品がこんなにも早く届けてしまえること・その早さにニーズがあり、サービスの与件になってしまう事が、私には狂気じみている。
こうなってやっと世間が気付き始めたかって感じ。でも狂気が言い過ぎかな。いいたいことはすごく共感できるけどね。やりすぎるなよってことだと思うんですよ。いや狂気でいいかな。たしかに狂気じみてるわ。
もっと前に始ってたから
これはたまたま思ったよりも早いスピードでサービスが向上したために驚いて「あれ?」って思ったという話し。
でもこういうことって近年徐々に行われてきてるわけです。例えばわかりやすいところで言えば「24時間サービス」
コンビニとか24時間営業が当たり前になってるでしょ?いつでも買い物が出来る。思ったときにフラっと寄れる。実はこれ狂気なわけ。Amazonの配送サービスなんてのは、まだまだごく一部の人が恩恵をうける程度のものなわけですが、コンビニの24時間はすっかり定着している。
大型のショッピングセンターや百貨店の年末年始の営業。最近は元旦からやってますよね?これも当たり前になっていませんか?実はこれも狂気だと思うわけです。
日本の習慣が薄れていく
別にサービスの向上に文句はないわけです。便利なものは便利。なってしまったものは活用してもいい。でもこれによって失われたものもある。
例えば上で書いた大型ショッピングセンターや百貨店の元旦営業。その昔は正月は1週間くらいはお店が閉まっているというのが当たり前でした。これは馴染みがなさすぎか。その昔は正月三が日くらいはどんな店も閉まっているということが当たり前でした。
この連続したお休みがあることで、年末の買い溜めがおきて、大きな商売になりました。年始もお休み明けでの反動で大きな商売になりました。働いている人もきちんと休める時代。
ようはメリハリがあった
ということです。今のサービスはこのメリハリをことごとくなくすことに焦点を置いて考えられています。メリハリがある今までの生活を「不便」という一言で片付けます。でもそうじゃないんです。このメリハリがとても大切だったりするんです。
12月31日まで営業して1月1日には営業している。年末の大売出しの翌日には新年初売り。お客さんはいつでもあいてるんなら慌てて買う必要がないので、いつものように安いものを探してそればかり買う。べつに余分なものを買い込むこともない。だって毎日あいてるんだから。
スーパーがあいてなくたってコンビニが24時間であいてるから。
買い物の衝動を作りにくい世の中なわけです。そしてインターネットの普及で外に出なくても買い物出来る世の中になり、なので今度はそれをより「早く届ける」の方向に行くんでしょう。
世の中が望んだことではあるけど異常だとは思います。
便利は正義じゃない
見出しのとおりです。便利な世の中はそれはそれでとても快適ではあるけど、それはすべて正しいことではないのです。ちょっと前に書いた「良識と常識」の違い。
naitoujinexpress.hatenablog.com
「赤信号みんなで渡ればこわくない」誰も見てなかったら赤信号でも渡るよみんなというのが「常識」。
いや、赤信号なんだからおれは渡らないよというのが良識。こんな感じかな?
ようするに、便利だと思って使っているサービスはどんどん自分たちの生活を苦しめているんです。スピードサービスは人によって行われています。便利になればなるだけ、その便利に従事する人間が増えるわけです。当たり前の「日中働いて夜寝る」という行為が出来ない人間が増えるわけです。
そしてそれが常識になれば、いろんな業界で、スピード納品が当たり前になるわけです。なんやかんや多くの人が当たり前の生活を出来なくするのが、今世の中が求めているものだったりするわけです。
自分で自分の首を絞めているのが今の世の中です。
「のんびりしたい」「らくをしたい」と思ってできたサービスを受けておいて、いざ自分が働くときには、お客様にそれを提供しなくてはいけない。それが当たり前だから。
なんかもう休めるとき休もうよ。
毎日働くのが美学じゃないから。
なんのために働くのか考えて
心に余裕を持とうよほんと。
おしまい。