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ひまつぶし

気になることを統一感なく

『レッジョ・エミリア・アプローチ』という教育法。日本的にはどうなのか。

okuです。

 

保育関係の仕事から離れてしばらくたつわけですが、なにやらおれの知らない言葉が最近流行ってるようで(最近なのかも定かではないw)気になって調べてみましたよ。

 

レッジョ・エミリア・アプローチ

これは何かというと、幼児教育法の名前。幼児教育実践法とかいうのかな?どっちでもいいね。レッジョエミリアというのは地名。イタリアの市の名前なんだとか。そこにある学校で実践していた教育法で、その学校が「世界で最も優れた10の学校」に選ばれたことで、この教育法が有名になったんだとか。すげーな。選ばれたのは1991年。あれ?バリバリ保育関係の仕事してたときと重なるんだけど・・・知らなかった。

 

どういうものなのか

ものすごくざっくり言うと、ひとりひとりの個性や意思を尊重する教育法。個性を奪わないで、それぞれの良さを最大限に引き出すにはどうしたらいいのかを「子ども、保育者、保護者」が上下なく一体になって取り組んでいきましょうというものらしいです。

 

子ども達の100の言葉

創立者であるロリス・マラグッツィ氏の詩である「子ども達の100言葉」これがこの教育法の理念のようなものだと思います。

「でも、百はある。」

ローリス=マラグッツィ


子どもには 百とおりある。
子どもには 
百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり
理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界
発明するのに 百の世界
夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある
…それからもっともっともっと…

けれど九十九は奪われる
学校や文化が 
頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならないものだと

つまり百なんかないと言う

子どもはいう
でも 百はある

 

 出典 http://yumemasa.exblog.jp/7109755/

 

99を奪う教育ではなく100あるものをすべて生かしていこうという考えなんだと理解できますね。

 

実践方法

大きく分けて2つの「プロジェクト」「ドキュメンテーション」という活動があります。

プロジェクト

これはひとつのテーマを長期間かけて掘り下げていくもので、そのテーマを子ども、保育者、保護者が一体となって行うものである。日本にも「テーマ保育」や「誘導保育」など似たようなものはあるけど、保護者も交えて一体で行うというところは日本にはなかった要素ではありますね。

これの良いところは自主性や協調性が養われること。たぶん答えは「教える」のではなく「導き出す」といった教育法でお馴染みのピラミッドメゾットというオランダの教育法のプロジェクトの方が日本には馴染みやすいかもしれないけど、これはこれでうまくいくならすごいことなんじゃないかと思うんです。

 

ドキュメンテーション

グループでの議論中に子どもや保育者が発した言葉は、保育者による記述や録音機器によって記録され、活動している様子は写真・ビデオレコーダーで記録される。ここまでの記録方法であれば日本でも日常的に行われており、特に取り上げるべき点ではないかもしれない。ところが、日本では記録された内容は、主に保育者自身の省察のために活用することが一般的である一方、ドキュメンテーションは、子ども自身が活動を省察し、活動の深度を増すために行われるのである。そのためドキュメンテーションされた資料はパネルにレイアウトされ、誰もが目にすることのできる場所に展示される。子どもたちはそれらを見て、議論を含めた活動の過程に立ち戻り、今後に反映させる。ドキュメンテーションを元に再び議論が展開され、テーマがさらに深められるというシステムである。

 パネル展示というのが特徴ですね。こうなると日本人的な発想で記録媒体は写真ということになっていくのでしょうね。

 

もひとつ特徴が

アトリエリスタ(美術専門家)とペダゴジスタ(教育専門家)というのが、保育士といっしょに子どもの創造的活動を支援するというもの。ちょっとよくわからなくなってきましたが、これは日本でやるにはなかなか難しいでしょうね。予算の関係で。保育士がこれを兼任してやるみたいなことが起こってしまう可能性だってあります。

 

施設にも特徴があって、アトリエという空間があります。いろいろな廃材や鉄くずや企業から提供される様々な廃材などをアート活動に利用するというもの。現地ではその教室にはそういうものが溢れているようです。みんなが自由に使える「ピアッツァ」という空間が用意されるのも共通のことのようです。その他本格的なドラムセットやパソコンなども用意して可能性を最大限に引き出すように取り組んでいるようです。

 

とっても理想的

教育、アート。そして保護者も積極的に参加する形のこの教育法。すごく理想的でワクワクしてしまいます。でもやっぱり日本では難しいかなぁ。出来るところは限られると思うんです。

途中でも書きましたが、アトリエリスタ(美術専門家)とペダゴジスタ(教育専門家)という専門職を配置するというのがけっこう高い壁のような気がするんですよね。なので、いざ実践しようとなると、保育士が兼務する形になると思うんです。保育士の負担は半端ないです。そしてさらに大きな負担として考えられるのが「ドキュメンテーション」動画を撮るとなれば、現場ではきちんと子どもを見ていられますからそこは安心ですけど、そのあとパネル展示となると、それを見直して、良い場面を切り取ってプリントアウトして展示しなくてはいけませんよね。では写真ならどうか。写真の場合はもっと問題で、保育中に写真を撮らなくてはいけなくなります。もうこの時点でアウト。おれが託児所をやっているときは、広くアピールするためと、保護者のために毎日のように写真を撮ってブログにしていましたが、これはきちんと子どもをみてくれる保育士を別に配置してのもの。なかなかそういうことにはなりませんよ。

 

結論

すごく素敵なアプローチ。全部を取り入れるのではなく、全体的にみて、取り入れられる部分だけでも取り入れるというのがいいかも。保護者ともっと蜜に連携するとか、地域を巻き込んで、「子ども、保育士、保護者、地域のみなさん」というような発展系にするとか。なんにせよ、考え方は素敵なので、こういう方向でいろんなものが動いてほしいし、むしろこれ大人が受けた方がいい教育法なのかも。もっと縛られないでキラキラして生きたいもんね。

 

 

おしまい。